昨日、味の素食の食の文化ライブラリーの
公開講座へ行って来ました。
お題は・・・
錦絵に見る江戸の食文化
「グルメな江戸っ子の人気メニュー ①天麩羅」
内容は・・・
はじめに
徳川家康天麩羅中毒死は本当か?!とういうお話から
「東照宮御実記附録」より
「鯛をかやの油にてあげ、そが上に韮をすりかけたものを食べてその夜に腹痛を起こした」
これが体調を崩す引き金になり3ヶ月後に亡くなったのでは??と
推測される事や他にも「武徳編年集成」や「元和年録」に書かれている内容に
油で揚げた鯛を食して腹痛を起こしたと書かれている事から
家康天麩羅中毒死はまんざらではないかも・・・という事でした。
本題
●江戸風と上方風の天麩羅の違い
「守貞謾稿」(今の百科事典のようなもの)によると
京都や大阪ではさつま揚げの事をてんぷらと言い、
江戸では小麦粉を練って衣として揚げたものをてんぷらという。
京都や大阪ではこれをつけあげと言っている。
江戸風てんぷらは18世紀中頃には出現していた。
●天麩羅屋台
江戸時代の天麩羅は庶民の食べもので、屋台からスタートした。
数枚の錦絵に、屋台で天麩羅のようなもを売っている様子が分かった。
1枚の錦絵には手ぬぐいを頭から覆って腰に刀をさした男性が
屋台でてんぷらを買っている様子が見られた。
講師の飯野亮一先生の解説によると、
細民相手の安価なファーストフードで、武士が堂々と買いに行けないから
顔が見えないようにして、こっそり買って食べていたらしい。
天麩羅は人目を憚ってまで食べたいものだったんですね~(笑)
●江戸っ子が好んだ天麩羅と蕎麦
屋台の天麩羅は庶民に大人気で、錦絵に蕎麦を売る屋台と天麩羅屋台が
隣同士に並んでいて、沢山の人が買いに来ている様子が分かった。
今では天麩羅蕎麦は当たり前だけど、江戸時代に
蕎麦屋の屋台でかけそばを買い、そのまま隣で天麩羅を買って
蕎麦の上にのせて食べるとうスタイルが大人気となって、
さらに天麩羅の人気が高まったのだそうです。
●金麩羅(きんぷら)と天麩羅
庶民に大人気となった屋台の天麩羅を料理屋で出す際、
同じ物を出すわけには行かなかった。
(天麩羅は庶民の安い食べ物だったから)
そこで、天麩羅との差をつけるために、高級な食材を使って
当時は高級食材だった「卵」を衣に加えて「金麩羅」として
料理屋でも出されるようになった。
もちろん屋台の天麩羅に卵は入っていない。
金麩羅は衣に卵の黄身が入って、黄金色だった。
そして、違いはもうひとつ
屋台では天麩羅は串に刺さっていて、壺に入った天つゆにボチャッとつける。
(今でも関西ではよくあるスタイルの、串カツのソース二度付け禁止!!)
料理屋では串に刺す必要がなく、錦絵に遊女が金色の金麩羅を
箸で食べる様子が見られる。
(最後の質疑応答の時、質問させて頂きました)
Q 現在の天麩羅は卵を入れた衣で揚げる「金麩羅」なのに、
どうして「金麩羅」とう名前ではなく「天麩羅」という名前が残ったのか。。。
A 卵が段々高級食材ではなくなり、天麩羅にも卵を入れるようになった。
そうなると「天麩羅」と「金麩羅」の差がなくなって天麩羅と言うようになった。
ちなみに・・・
現在でも「金麩羅」として出しているお店があるそうです。
●天麩羅専門店と天丼
江戸時代にお店で出された「金麩羅」は専門店ではなく、
会席料理屋、お茶漬け屋、料理屋さんのサイドメニューだった。
天丼は明治10年(1877年)頃に売り出され
東京風俗志(明治34年)に天麩羅御膳の紹介がある事から
この頃に専門店があった事が伺える。
昨日の講座は本当におもしろかったです。
ブログに書いた内容は講座の中の一部で、約2時間
あっという間に過ぎてしまいました!!
そして会場に江戸料理の重鎮も来られていて、
講座修了後にまたまた貴重なお話を聞かせてもらいました。
金麩羅はソバ粉を使ってごま油で揚げたものだったから
真っ黒だったのよ~。
卵を入れて金色になったのは後の話。
なのだそうです。
さらに、その場にいた重鎮のお弟子さんと
屋台で天麩羅を出そうと思ったら、当時の貨幣価値で何本揚げたら
採算が合うのか、また油の種類などの話で大盛り上がりでした(笑)
次回は6月の蒲焼き編です!!
本当に楽しみ!!!
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